昔の修理再生業とネットリテラシーとgoogleの目指すもの。
それは一億総メンター化の世の中なのか?あなたのくだらない技術やノウハウを求める人は必ずいる。
あなたのくだらない疑問について、喜んで教えてくれる人が、目の前に現れてくれる。
それはメディアリテラシーやネットリテラシーという言葉が死語になる世の中なのか。
ウェブ進化論という本を読んだ。
この本を見つけたのは、ブログのエントリーからです。
面白そうだなと思い注文した。
本を読む前と読んだあとで、自分の意識が変わったのがわかった。
例えば以下のエントリー
この子らは「インターネットというものは、質問を投げておけば自動的に『中の人』か誰かが自分のために正解を持って来てくれる便利なものだ」ぐらいに思っているようです。それも、書き込まれた時刻からすると、どうやら授業中に先生の指導のもとでそういう行動を取っていると思われます。
以前にもエイプリルフール記事の後日談や牛島和夫先生のお話の引用などで触れましたが、インターネットのような玉石混淆の情報源の中から正確な知識を探し出して身につけるときは、情報にたどりついても、その一次情報を探し出してウラを取った上で、真偽を見極めるという判断力が必須です。そういう基本のワザを教え込まれていれば、たまたま調べものをしていてこのサイトにたどり着いても、その場で「情報をください」という書き込みにはつながらないはずなんですけどね。
モノの調べ方の基本もよく知らないような子供たちにヤフーやグーグルを与えて放置しておくような、あるいは、自分自身でもインターネットを読み解くリテラシーをお持ちでないまま安易にインターネット利用を指導するような方が“教育者”になっていなければいいんですけど。
インターネットは百科事典ではないんだよ。
本を読む前はまさしくその通りと同意したのだ。
インターネットに子守をさせてはいかんよなー、もっと「こちら側」でキチンと教えてあげないといけない。
そう思っていた。
だが、読後にそういう感覚が変わった。
グーグルは、そういうことすら「あちら側」でやろうと思っているのだ。
これはものすごい変化が来る、今までの価値観とまったく違う世界だ。
インターネットが子守をする時代
グーグルの技術者はそこを目指しているのかもしれない、なんてことを思った。
つまり「昔の修理再生業」をググれば、それを喜んで教えてくれる人は、必ずいる。そして間違いなく、その人につなげてくれる世界をグーグルは作ろうとしているのだ。
インターネットは何よりも優れた最高の百科事典であるという検索結果を目指しているのだろう。
教育現場やリテラシーを磨くことすら、「あちら側」でやってしまおうというスタンスなのだ。
できるだけクダラナイ質問の方が、グーグルの本質を表層化させると思うので、次の二つを試してみる。
「正しいオナニーのやり方」
と
「血の出ない鼻くそのほじり方」
(ほんとしょうもなくてもうしわけない)
それぞれ「オナニーのやり方」「鼻くそのほじり方」でググってみると、
「オナニー」の方はわりかしキチンとした回答のページが表示される。
一方「鼻くそ」の方はいまひとつだ。
これは単純に底辺というか分母の数の違いだろう。
ここ最近、耳にすることが増えた「メンター」という言葉。
どんな質問にも答えてくれるメンターは必ず存在する。
鼻くそのほじり方のメンターとか、セロハンテープのきれいなはがし方のメンターとか、それぞれの分野でメンターの大安売りが始まるのかもしれない。
グーグルはあなたが困っているときに目の前に魔法使いのように、必要な人間を連れてきてくれる。
メディアリテラシーがない人にもそれなりの情報を与え、検索するだけで、いつのまにか、メディアリテラシーが身についてしまう。
そんな世の中になってしまうのかもしれない。
最後にのこるこちら側は、あなたの頭脳だけなのかもしれない。
そして、頭脳が直接ネットワーク化されたときに、形而上学的にも弁証法的にも人間は違う生き物になってしまうという予感を感じる。
余談
で、自分は、2000年ごろに、小説みたいなものを書こうとして挫折しているわけですが、それを思い出しました。(妄想入ってますけど)
時代は、2026年の日本とアメリカ。
時代背景としては、日本は関東震災のあと、国債のデフォルトをしてぼろぼろの状態。
アメリカは内戦が起きて3つに分裂。
世界の基軸通貨はユーロと元。
すでにこの時代パソコンという概念はなくなってます。
知覚と直接コネクトされた、SIDというデバイスによって多くの人々はネットワーク化されています。
そして、生体SIDと呼ばれる、胎児に直接デバイスを組み込む手術が行われたのが、3年前のこと。
彼らは生まれる前からすでに、人類がこれまで積み上げていた全ての知識を使いこなすことができます。
身体的機能の限界があるため生まれたばかりの時は、話せませんが、すでに人格者なのです(このあたり微妙なんですが)
かれたにとっては、自分自身とか他人とか言う概念が明らかに、20世紀の人間とは違います。
さらに、サード世代と呼ばれる、2001年以降に生まれた人々とも全く違います。
2026年11月25日の時点で、生体SIDを埋め込まれた最初の子供は12人。
そして、13人目が生まれようとしています。
奇妙な依頼や、企業体としてのSID.comの社長の自殺(殺人事件?)
「記憶」や「思い」だけでなく「愛」までも、ネットワークのあちら側に置かれたときに、人間はどうするのでしょうか?
「この記憶はおれのものだ!」
「あなたの経験ですら、ただのデータにしか過ぎないわ。」
「じゃぁ、結局、命ってなんなだよ!」
「わたしは、アルファでありオメガである、ってやつか?」
「なんだ、キサマは、自分が神だとでもいうのか?」
「あなたたちの概念で言えばそうかもしれません」
「大衆は愚かなのはいつの時代にも変わらないのだよ」
「あんなもん(SID)つけてたら、恐ろしいよ、他人に頭の中身を見られるなんて、まっぴらだね。」
この物語の世界では、SIDを利用している人間と全く使わない人間で経済格差がものすごいです。
話の断片はこちらに散らかってます。今年の8月に本にします。出版社の方お声掛けください(笑)
(株)ネットエイジの後藤さんのブログでもこのweb進化論のことがかかれてます。
というかWeb2.0 BOOKも読もうと思った。
●→ブログランキングでgoogleと一応総メンター化の情報を探す。